このブログははたして誰かに読まれているのだろうか?

月日は巡りました。12月ですね。

さて、最近気になってることを。

歴史とはどのように伝承してきたのでしょう?


我々はどのようにして、自身で体験してもない
遠い過去のことを知りえるのでょう?


勿論、過去の文献やモノ、はたまた口伝などにより認知・推察
できるでしょう。


しかしながら、それが真実である確証はどこにあるのでしょうか?
信用していたソースが、偽りである可能性は0ではないですよね?


例えば荒唐無稽な絵空事ですが、世界中の人々が結託して、
2011年に第三次世界大戦が起きたという文献と証拠に当たるモノを
ねつ造し残したとして、数百年後の人たちはそれが
デマゴギーだったと証明することは可能でしょうか?


さらに、自分の耳目に触れていることが、必ずしも真実であると、
確証をもつことは可能でしょうか?


構造主義により実存主義的なものが揺らいだのと同様です。


例えば、目の前にあるりんごが赤いことをいったいどうやって
証明することができるのでしょうか?


色を測定する装置があったとして、それが正しく機能していると
証明することは可能でしょうか?



そう考えると、我々が立っている場所は余りにも不安定に感じます。

フィクションとノンフィクションの境界は
結構ぼんやりしたものだと思いました。


実は沖田総司は女だった?! ヴァンパイアは現在も東欧のある
集落にひっそり寄り添いあって生きている?!

嘘であると証明できないですよね?


だったら、僕は面白い方を信じてみたいです。